15年前、私は東京の活気あるスーパーマーケットで働いていました。
都会の喧騒と若さに満ちた日々でしたが、東日本大震災が起こったことで、すべてが変わりました。震災から1ヶ月後、父からの一本の電話が、私の人生の流れを大きく変えることになります。母が私のことを心配しているという話で、故郷に戻るよう促されたのです。
しかし、帰郷してみると、現実は想像とはかけ離れていました。
母は重度の統合失調症に苦しみ、会話さえままならない状態でした。そして父は、実家の経済的な困難を一緒に何とかしてほしい、借金の返済を手伝ってほしいと望んでいました。
家の電話は金融機関や高利貸しからの連絡で絶え間なく鳴り響き、平穏な日々は遠い過去のものとなりました。
私は絶望感に打ちひしがれました。故郷に戻ってきたはずが、そこには仕事のない現実、精神的に崩壊している母、そして私に対して借金の返済を迫る父がいました。
父は借金の総額については何も教えてくれず、ただひたすらにお金を要求してきました。私は何とか仕事を見つけ、ただ他人事のように、父の言うとおりにお金を用意し、渡すだけの存在になっていました。
この時期、私は自分自身を見つめ直すことも、自己反省や自己受容を見出すこともありませんでした。
社会福祉事務所や非営利団体に助けを求めることもなく、ただ日々を過ごすことしかできませんでした。
今から考えると自分の未熟さのせいなのですが、当時の生活は、希望とは程遠いもので、何の解決も見いだせない「人生の終わり」とも言える状態にあったのです。
ただこの経験を通じて、私は人生には予測不能な困難が突然降りかかることを学びました。
それらは時に、私たちの想像を絶するものであり、容易には解決できない問題を抱えています。私の体験は、決して希望に満ちたものではありませんでしたが、これが現実であることを受け入れるしかなかったのです。
このブログを通して、私は自分の体験をありのままに伝えたいと思います。すべての人が幸福と希望に満ちた人生を送るわけではないこと、そして時にはただ耐えることが、我々に求められることもあるという現実を。