家族との深い葛藤、そして経済的な苦境の中で、実家に戻ってから5年が経ちました。
この間、私は父の借金返済を手伝い、毎日を懸命に生きてきました。
そんなある日、仕事から帰ろうとしているところに母の容態が急変したという連絡が父からありました。
父が家に帰ってきたら横たわっていて、呼びかけても全く反応がなかったそうです。
母は生まれつき腎臓が悪くあまり長くは生きられないと当時のお医者さんに言われていたと聞いたことがありました。
さらに借金の事で統合失調症という精神的な病を背負ってしまってました。
病院に行くことを嫌がり、徐々に状態が悪化していたのです。その日、母は意識を失い、救急車で病院に運ばれました。医師からは、母の意識が戻る可能性は低く、もはや長くはないと告げられました。
東京にいる妹を除く親戚が病院に集まり、母を見守っていましたが、夜も更け、明日からの看病の準備も必要だということで、父と親戚たちは一旦家に帰ることにし、私がしばらく残ることにしました。
病院の静かな病室で母を見つめながら、私は子供のように泣きました。
「母が死ぬ」という現実が突きつけられ、心は混乱し、受け入れがたい感情に襲われました。深夜の病院での私の泣き声は、静寂の中で虚しく響きました。
しかし私も、疲れとこれからのことを考え、一時的に病院を離れることにしました。
家に戻った本当に直後、病院から連絡がありました。
母が息をひきとった連絡です。
母は誰にも看取られずにこの世を去ったのです。
その知らせを受けた瞬間、私は言葉では表せないほどの後悔に襲われました。
「まだ大丈夫だろう」という油断が、母の最期を看取ることを逃す結果となりました。
その後悔は、私の心に深く刻まれ、消えることはありません。母の最後の時を共にすることができず、その機会を逃した自分を責め続けました。
母の死は、私にとって多くのことを教えてくれました。
人生において、何が最も大切か、そして、後悔のない選択をすることの重要性です。
愛する人がいるうちに、その存在の大切さを感じ、共に過ごす時間を大切にするべきだと痛感しました。
今更言ってもしょうがないんですが、
お母さん、ありがとう。