『再びの試練:父の闘病と隠された借金』

私たちの人生には、予期せぬ試練が訪れることがあります。

母の葬儀が終わり、一息ついたかと思いきや、新たな困難が私の前に立ちはだかりました。

私の父は、母の葬儀が終わった後、家族が抱える借金が私が建て替えた200万円だけであると説明し、それを返済するために、彼が長年経営してきたお店を売却すると決めたのです。

実家がやっていたお店は、実家の他にあと一店舗近くの地域に昔から構えていました。

借金が膨らみ母の事もあって、父は店を一旦閉めてアルバイトで収入を立てはじめたのです。

私も実家に帰り二人で返済をしていき、ある程度借金の目処がたちました。そこでこの残りの200万円を店舗を売って返し切ろうと考えたのだなと思っていました。

ところが数週間後、父が体の不調を訴えました。父は体が痛いだの具合が悪いなど言わない人だったのに、胃の痛みをひどく訴えたり、体調が悪くてアルバイトを休んだりと昔から知っている私としてはありえない姿を見せ出したのです。

病院での検査の結果、彼の胃に癌が見つかり、さらに末期であることが判明しました。

医師からは、余命3ヶ月との宣告を受けました。この事実を父に伝えるかどうか、非常に悩みましたが、最終的には末期であるとは告知せず、「癌が見つかって仕事はもうできなくなる」「後の借金は200万で店を売って支払うなら私一人で何とかする」と言い父にはゆっくり養生してほしいと伝えることにしました。

しかし、その時、父は急に病院のベッドで頭を抱え出しました。

何事かと思い話すように促してみると私にさらに衝撃的な事実を明かしました。実はまだ600万円の借金が残っているというのです。

父はお店を売り、私が建て替えた200万をまず返し、残りの600万は自分がこっそり返そうと考えていたのです。

言わなかった理由はきっと私にこれ以上負担をかけたくなかったのかもしれません。

しかし私はこの事実を受け止めるのは容易ではありませんでした。母の死、父の病、そして思いもよらぬ借金の存在。一体どうすればいいのか、途方に暮れる思いでした。

このような時、人はどう対処すれば良いのでしょうか? 私は何の誇張もなく本当に他人事のような感覚に襲われました。途方には”表面上”暮れていましたが内心「どこかで誰かが何とかしてくれるだろう」と思っていたのです

当時の気持ちで一つ言えることは、この時はまだ末期がんで余命が3ヶ月とはいえ”父親は生きている”ということです。

こんな状態でありえない感情だとは思いますが、「まだ親が最終的に何とかしてくれる」という子供の心があったんだと思います。

当時は34歳のいい大人でしたが、まだ何か”家に帰れば親が居てくれる”という妙な安心感がありました。それは統合失調症になった母親にも言える事です。

「何か困ったことがあれば親が何とかしてくれる」

この家の問題も「私は手伝いはするが最後は親が何とかしてくれる」父の末期がんが見つかった後も心の奥で何かそんな風に思っていたんだなと今は考えさせられます。

ですが、これからは後ろはありません。

これからは私が最後の砦です。これからは自分で責任を持ち生きていかねばなりません。当たり前のことなのですが、まだこの時の私には腹落ちできない感覚でした。

なぜならどんなかたちであれ親は生きているのですから。

最後の最後に私にとっては無条件に甘えさせてくれる存在がいたのですから。

この後、最初に私が建て替えた200万円と父が話した病院で話した600万円、そして父の死後、色々合わせて100万円が借金として見つかりました。

合計900万円です。

こののち、この経験が私に自分の人生に責任を持ち生きていくこと、そして目指す場所に足を進めること

「行動」することがいかに大事かを気付かせてくれました。

もちろん、当時このあとは右往左往で他責思考の塊のような34歳の男の出来上がりです。

周りに当たり散らすか、上手くいっている人を妬むか恨むか。

「どうせ俺なんて」と自分をとことん卑下して悲劇のヒーローぶり、同情を誘い良い気分になるか。

どうしようもない、そんな期間がこれから続きます。

人生は予期せぬ試練で満ちていますが、それは同時に成長の機会でもあります。

私たちは、困難に立ち向かい、それを乗り越えることで、より強く、賢く、優しくなれるのです。

今の私もまだまだですが、歩みを止めずに生きていこうと思っています。

投稿者:

totino-mi

京都市に住む40代の男です。 田舎の実家を継いで、その家で色々奮闘中です。 地元地域や京都北部の情報を発信していきます。

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