借金問題は、人生の舵取りを一変させる力を持っています。
私の経験では、それは単に経済的な負担を超え、人間性までもが試される試練でした。特に職場での私の振る舞いは、借金がもたらしたストレスの深刻な影を投げかけました。
職場では、私は苛立ちやすく、攻撃的な態度を取るようになりました。自分が望まない部署で働かされているという不満が、借金の重圧と結びつき、私をさらに追い詰めました。
この苛立ちは、しばしば同僚や上司、そして特にパートタイムのスタッフに向けられました。
例えば、朝礼の際、集まった従業員を一人ひとり睨みつけ、彼らの存在自体を軽蔑するような態度をとりました。また、パートさんが小さなミスをすると、その責任を厳しくなじり、公然と彼らの能力を否定する言葉を投げつけました。
会議では、上司、同僚が提案したアイデアを冷笑し、社長が意見を促しても鼻で笑って無視し、その場の空気を凍りつかせることもありました。更に悪いことに、これらの行動は、私自身がその状況を全く理解していなかったため、改善の兆しは見られませんでした。
最も悪化していた時は、私の仕事はスーパーでの仕事だったのですが、
朝の商品の品出しの時に、周りが野菜を出したり魚を加工したり開店の準備をしている時に、大声でいかにこの仕事に携わってる事が馬鹿馬鹿しいか、いかにこの仕事をしている人間(私を含めて)が無能で存在価値が無いかなどを声を荒げて怒鳴りつけながら仕事をしていました。
「よくこんなクズがやる仕事で金貰ってられるな、恥ずかしく無いんか?」
「とっととこの店潰れんかな?地域の邪魔やろ!」
「ゴミしか働いとらん。ここで働いてる奴らは人間の恥晒しやな!!」
こんなことを、本当に平気で売り場でも調理場でもいつも怒鳴り声で叫んでました。
些細な遅延やミスに対しても、過剰な怒りを爆発させることがありました。私は声を荒らげ、時には物を叩きつけ酷い時には商品を蹴飛ばすなど、職場での暴力的な行動を取りました。これらの行為は、店舗の従業員の士気を著しく低下させ、全体の雰囲気を悪化させました。
よくクビにならなかったなと本当に思います。いくら日本の会社の正社員とはいえ、ここまで悪影響を与えたら確実に他所なら確実に解雇です。
ですがこの期間、そんな事は何も考えずに、私は自分がどれほど周囲に対して冷酷になっていたか、そして自分の行動が他人にどれほどの負の影響を与えていたかについて、全く気づいていませんでした。
なぜなら
「自分が一番世の中で不幸な人間だから、周りは幸せに何の苦労もなく生きてるから」
「だから、何をしても良い、何を言っても許される」
恐ろしいことに、本当にこんな考えに支配されていたのです。
当時の自分の借金問題に追われ、休憩時間もお金に変えられるものはないか、どの債権者に先に返済すべきかといったことで頭がいっぱいでした。自分以外の何ものにも目を向けられない状態で、自分の精神的な健康さえもおろそかにしていました。返済の計画を練り、次にどの資産を手放すか考えることで頭がいっぱいで、他人への共感や理解を示す余裕など無かったのです。
振り返ると、私のこの時期の行動は、職場における人間関係において修復が困難なほどの亀裂を生じさせました。自己中心的な苦悩に囚われ、他人への配慮を欠いた私の振る舞いは、上司、同僚やパートさんからの信頼を失う結果となりました。
私たちは、自分だけが苦しんでいるわけではないということを、時に忘れがちです。
職場の同僚や上司も、そしてパートさんやアルバイトさんもそれぞれに個人的な悩みや問題を抱えています。
私のように、その苦悩が表面に現れることは少ないかもしれませんが、それでも彼らは自分なりの戦いを続けて人生を生きています。
この認識が深まるにつれ、私は他人に対する共感の重要性を再認識しました。
結局のところ、私たちは皆、自分なりの戦いをしています。私が経験した苦痛は、私を成長させるためのものでした。そして、この経験から学んだ最も大切な教訓は、人間関係は共感と理解から成り立っているということです。
この当時の行いを消すことはできません。
ですが、それでも迷惑をかけた方々へ恩返しできるとしたらこの経験をしっかりと人生に活かすことだと勝手ながら思っています。
本当に申し訳ありませんでした。