「時を超える快適性:愛用のパタゴニア・フリースの物語」

おはようございます。

ちょっと今日は私のお気に入りの品を紹介します。

汚れていて申し訳ない💦

冬の訪れと共に、私たちのクローゼットは暖かさと快適さを追求するアイテムで埋め尽くされます。

この時期、特に愛用しているのが、私が8〜9年前に購入したこのパタゴニアのフリースです。正式な名称はちょっと覚えてないのですが、このフリースについて、その購入背景から現在に至るまでの私の経験をお話しします。

購入のきっかけ

パタゴニアというブランドは、そのフリースを手に入れるまで、私にとってはあまり身近な存在ではありませんでした。

しかし、一度は高品質なアウトドアウェアを体験してみたいという好奇心が勝り、購入を決意しました。

価格は約2万3千円から2万5千円で、両親の借金の返済をしていた当時の私にとってはかなりの高額投資でした。

その価格に見合う価値があるのか、少なからず不安もありましたが、その不安はすぐに払拭されました。

愛用の理由

初めてそのフリースを着た時、その軽さと薄さからは想像もつかない暖かさに驚きました。

通気性が良いにも関わらず、しっかりと体温を保ってくれるこのフリースは、秋冬シーズンに欠かせないアイテムとなりました。

ほぼ毎日のように着用し、他のアウターが手につかなくなるほどでした。このフリースと共に過ごした日々は、私にとってかけがえのないものです。

長年の愛用

8〜9年が経過し、このパタゴニアのフリースは私の定番アイテムとなりました。長い年月を経ても、その性能はほとんど落ちていません。

しかし、長年の着用による自然な摩耗で、見た目が少しずつ老朽化してきました。愛着がありすぎてなかなか手放せませんでしたが、見た目の老朽化を考慮し、今年の春にはパタゴニアのリサイクルプログラムを利用して、この愛用のフリースとお別れをすることにしました。

まさか10年近く愛用するとは思ってもみなかったので、購入時は「高いな〜」と感じてましたが、今となってはたった2万円ちょっとでこれだけの期間、快適に冬場を過ごせたので安い買い物でした。

このフリースのおかげで、着る物は多少高くても高機能な商品を選び長く扱うようになっていきました。

「新しい始まりへの道: 挑戦と変化を受け入れて」

昨年、私は人生の大きな転機を迎えました。

新たな環境での挑戦が始まったのですが、それは予想以上に私の心と体に負担を与えました。

その中でも特に大きな出来事は会社に車で向かう際に、私は車中で「行きたくない」と大声で叫び涙を流す事が何度もありました。

こんなことは初めての経験で、それまで嫌だと思いながら向かう事はあっても声に出してしかも涙まで流した事は非常に衝撃的でした。

新しい職場でのパートさんともあまり良い関係を築けそうにない出来事もありました。本を読んでも自分がまだまだ未熟なら全て上手くいく訳ではないな、と感じた瞬間でした。

そしてまた何年もかけてパートさんと関係を構築する前に自分が壊れてしまう、そういった危機感が出てきました。

「やはり自分にこの仕事は合っていない」十数年この仕事で頑張ってきましたが、結局、退職を決意しました。

退職は決して容易な選択ではありませんでしたが、私には新たな道を模索する必要があったのです。

退職後、私は次なるステップに向けて不安を感じました。収入のない状態では、私の夢である田舎暮らしや地域の魅力を伝えるブログを続けることが難しいと感じました。

しかし、人生は予期せぬ形で新たなチャンスをもたらしてくれます。地元のカフェでの出会いが、私の人生に新たな光をもたらしました。その出会いを通じて、地元での新しい仕事の機会を得ることができました。

今回の経験から学んだことは、人生のどんな局面においても、前向きな姿勢を持ち続けることがいかに重要かということです。

困難な時期を乗り越えた後には、必ず新しい扉が開くという信念が、私を支えました。周りの人々との繋がりが、思いがけず新しいチャンスをもたらすことを実感しました。人との温かい関係を大切にすることが、私にとって新たな生き方となりました。

新しい職場での生活は、まだ始まっていませんが、私はこの新たなスタートを楽しみにしています。

これまでの経験が私に教えてくれた教訓を胸に、新しい日々を歩んでいくつもりです。

困難な時期もありましたが、それらすべてが今の私を形成し、新しい可能性へと導いてくれたのです。

このブログを通じて、私の経験が皆さんの何かの助けになれば幸いです。人生は予測不可能な旅ですが、その全てが私たちを成長させ、より強く、より賢くしてくれると信じています。

変化を恐れず、新たな挑戦を楽しむことが、これからの私の目標です。この記事が、読者の皆様にとって新しい一歩を踏み出す勇気やヒントを提供できたなら、大変嬉しく思います。

「節目の先に見える光:新たな可能性へ」の一歩

異動してきた店での2年間は、私にとって多くの意味で価値ある時間でした。新しい環境での挑戦は、初めは不安でいっぱいでしたが、徐々に同僚たちと良好な関係を築くことができました。

担当部門のパートさん達も明るく優しく親切で仕事で色々な事をやってくださり、時に私がうっかりミスをしても自分達でなんとか私のミスをカバーしてフォローしてくれたりで大変助けられました。

それでも、心の奥底では、この仕事に対する本当の情熱が以前から湧かないことを自覚していました。職場での日々は充実していましたが、私の内なる声は別の方向を示唆していました。

仕事場のパートさん達は本当に親切で楽しかったのですが、そもそもの仕事内容は以前の会社にいた時からあまりやりたくはない仕事でしたので、借金の返済が終わった後はその気持ちがどんどんと膨れ上がりました。

それから一年後、突然異動の知らせが届きました。この会社の異動は年2回ほどあるのですが、時期が決まっておりそれ以外の時期で異動があるのはよっぽどの事です。

実際に移動の理由は、以前私がいた店舗の部門担当が突然退職するので急遽社員が必要になり玉突きのような感じで異動が決まりました。

この知らせは、私にとって新たな始まりの予感をもたらすものでした。

何かそろそろ今後の事を考える事態になるんじゃないか、と思ったからです。

職場のパートさんに異動が決まったとお伝えしたら、非常に残念がってくださりました。異動した後もこっちの店舗に遊びに来て欲しいとまで言ってくださり嬉しくなりました。

職場の皆との別れは心苦しいものでしたが、内心ではこの変化が私の人生に新たな可能性をもたらすと感じていました。

最後の日、朝礼で私は以前いた会社での経験と私の駄目な態度、そしてこの会社に買収されて身についた事、そしてこの店での経験がどれだけ自分にとって救われたかを皆さんに話しました。

できる事ならここにずっといたいと。わがままな思いも伝えました。

その際、担当部門の皆から贈られたネクタイが、私の心に深い印象を残しました。

このネクタイは、ただのアクセサリー以上のものでした。パートの方々が私のために休日を使って選んでくれたと聞き、その細やかな心遣いに感動しました。彼女らが選んだネクタイは、洗練されたデザインで、新たな職場で着用する際に自信と誇りを感じさせてくれます。

このネクタイを見るたびに、私は過去に支えてくれた人々の顔を思い出し、彼らからの暖かいエールを感じることができます。

今、私は新たな職場への移動を控えています。正直なところ、次の職場が私にとってどのような場所になるか、そして私がこの道を続けるべきかどうかは、まだ分かりません。

これまでの経験が私に教えてくれたことは、自分自身に正直でいることの重要性です。

もし次の職場が私の情熱を再び呼び覚ますことができなければ、私はおそらく別の道を探求するでしょう。

私たちは、人生の旅路の中で常に選択を迫られます。大切なのは、その選択が自分自身の心に基づいているかどうかです。

私の心は、新た可能性と夢への追求を求めています。変化は時に怖いものですが、変化を受け入れ、それを乗り越えた先には、新たな自分が待っているのです。

「新たな地平への一歩: 異動の不安と新しい繋がりの芽生え」

私たちの生活には、予期せぬ変化が訪れることがあります。それは時に、私たちの心の準備が整っていない時にやってきます。前回では、新しい会社の体制下での努力と適応についてお話ししました。

今回は、その続きとして、更なる変化の波が私たちをどのように成長させるかをご紹介します。

3年前、新しい会社の体制に移行した際、私は多くの不安と挑戦に直面しました。しかし、時間が経つにつれ、少しずつ新しい環境に慣れ、かつての不安が薄れていきました。私は変化を受け入れ、新しい仕事の流れに適応してきました。

そんなある日、突然の人事異動の通知がありました。店長を除く全員が他の店舗へ異動することになったのです。

このニュースを聞いたとき、私は再び不安に襲われました。

実は心のどこかで私たちの異動はないだろうと思っていたのです。新体制になって大変ですが、慣れ親しんだこの店舗で仕事を続けていけると根拠もなく信じ込んでいました。新しい会社になってもこの場所には居られると考えていたのです。

しかし、これからは本当に新しい場所で新しい人々と仕事をしなければならないのです。

私の心を最も掴んで離さない不安は、「新しい店舗の人たちと上手くやっていけるかどうか」でした。

あまり仕事ができる方ではないので、次に行く場所で私がどのように受け入れられるか、どのように貢献できるかについて、強い不安を感じていました。

しかし、この瞬間にも、私たちは成長の機会を与えられているのかもしれません。

変化は常に新しい学びと成長のチャンスをもたらします。新しい場所での仕事は、私たちに新しい視点を提供し、新しいスキルを習得させ、新しい人々との繋がりを築く機会を与えてくれるのです。

上記のような考えは、読書を通じて少しづつ私の中に根付いていきました。

そういえば異動のニュースを受け取ったパートの方々は特に何も感じていないようでした。

彼女らは過去の私の行いを知っているので異動を知ってホッとしたのでしょう。自らが招いた事なので弁解の余地もありませんが、私の代わりに来る人が彼女らに良い影響を与えることを心から願っています。

私たちが直面する不安とは裏腹に、変化は私をより良い方向へと導くことがあります。

新たな地平への一歩は、私が未来へと進むために必要な変化です。新しい店舗での経験は、私のキャリアだけでなく、人生においても貴重な財産となるでしょう。

この移行期において、私たちが持つべき最も重要なことは、心を開いて新しい環境に適応しようとする姿勢です。

新しい人々との出会いは、新しい繋がりと友情の芽生えをもたらします。私たちは、互いに支え合いながら、未知の挑戦を乗り越えていくことができるのです。

異動は確かに大きな挑戦ですが、私たちがこれまでに乗り越えてきた多くの挑戦と同様に、成長と発展の機会を提供してくれます。

不安を乗り越え、新しい地平への一歩を踏み出す勇気を持ちましょう。そして、この経験が私たち一人ひとりにとって、かけがえのない価値あるものとなることを信じて、前に進んでいきましょう。

「転機の先に見つけた価値: 変化を受け入れ、成長への一歩を踏み出す」

前回、働く人々への理解と尊重の重要性についてお話ししましたが、今回は個人が直面する転機がいかに自身の成長や新たな価値観をもたらすかについて、私の経験を通してお伝えしたいと思います。

実は整骨院の先生に出会う前年、私の職場が突如として業績不振を理由に身売りされました。

ある日、会社の会長と社長が見知らぬ男性と一緒にみえられ、全従業員を会議室に集めるように伝えました。

皆が当惑するなか社長が話を始められ、来月で会社が運営していた三店舗のうち本社がある一店舗以外の二店舗を働いている従業員も含め身売りすると伝えられました。男性の方はその買収先の会社の常務の方でした。

重苦しい雰囲気が漂う中、常務の方が話し始めました。

この決断は社長、会長にとって大変苦しい決断だった事、しかしこのままではただ店舗を閉めて皆さんの働き口をなくすだけになってしまう、それだけは絶対に避けたかった事、そしてこの付近に新店を構える予定だった我が社の話を聞き、こちらの店舗を従業員共に引き受けてもらえないかと当社の社長に相談された事、そして当社の社長がその話を引き受けた事を説明されました。

確かにお客様の数も減っていて売上や利益も落ちていたのですが、こんな崖っぷちだったとは正直私は思いませんでした。

そんな困惑している我々に対して常務は、来週から面接をさせてもらい一緒に当社でやっていけるという方は来てもらいたいが、当社に合わないと思われる方は強制はしませんとおっしゃられました。

社長は涙ながらに店舗を閉めるのは苦渋の決断だった事とそれでも従業員の皆さんの勤め先は何としても確保すると思っていたことを話されその場は終わりました。

こうして次の日から買収先の本社で面接が随時始まり、私のように新しい会社へ行く決心をした人もいましたが、やはり以前の会社に愛着があり、違う場所で勤める事に反発を覚え退職される方もかなりおられました。

私はまだ返済があるため新しい会社にお世話になろうと決心しましたが、茫然とこの状況を見ていました。

借金のストレスで心が荒れて就業態度に出ていたとはいえ長年勤めた会社が変わることの不安、上司や先輩社員が次々に去っていく様子は、まさに荒波に飲み込まれる小舟のように思われました

そしてその時に直属の上司が会社を辞め、残った私が担当部門の責任者となりました。

全くやった事がないメインの責任者の仕事や新たな会社の方針に適応しようとする日々は、言葉では言い表せないほどのストレスを私に与えました。

そして、そのストレスが私の身体に現れたのです。足と腰の痛みが私を整骨院の扉を叩かせ、それが転機となりました。

整骨院の先生との出会いは、私にとって予期せぬ恩恵でした。

前回の記事で書いた事以外にも治療を受ける中で、先生からストレス管理の重要性や、心と身体の健康を維持するための生活習慣の改善について学びました。

また、先生の勧めで読書を始めたことは、私の精神的な落ち着きを取り戻すのに大いに役立ちました。本を読む時間は、自分自身と向き合う貴重な時間となりました。

そして、会社の変化は結果的に私にとって好転しました。新しい会社のもとで、私は新たな責任を任され、それに伴う収入の増加やボーナスの支給を経験しました。

厄介な社員だったであろう私が今こんな事を言うのは何様だと思うのですが、以前の会社は規模が小さく売上も毎年下がっていた事もあり社員の収入を上げたりボーナスを出すのも厳しかったのです。

しかし会社が新しくなったおかげで、これまで重荷であった借金の返済も、よりスムーズに行うことができるようになりました。

今振り返ると、会社の身売りは私にとって大きな試練であったと同時に、成長の機会であったと言えます。

当時は困惑し、不安でいっぱいでしたが、それを乗り越えた今、人生における変化がもたらす可能性の大きさを実感しています。今現在はその会社を離れていますが、買収されたことによって得た経験や学びには深く感謝しています。

この経験から、私は変化を恐れずに受け入れ、それを自身の成長の糧とすることの大切さを学びました。

人生は予測不可能な出来事で満ちていますが、その一つ一つが私たちにとって新たな扉を開く鍵となり得ます。困難や挑戦は確かに厳しいものですが、それを乗り越えた時、私たちは自己の新たな側面を発見し、人として成長することができます。

皆さんに伝えたいのは、変化を恐れずに前向きに受け入れることの価値です。

変化は成長の機会を提供してくれます。それを受け入れ、自分自身を信じ、一歩ずつ前に進む勇気を持つ。

そして、未来への一歩を踏み出すことで、私たちは自分自身の可能性を広げ、新たな価値を見出すことができるのです。

理解と尊重:働く人々への新たな視点

私の職場での日々は、最近、大きな変化を遂げました。この変化は、「人を動かす」を読み始めてから徐々に起こり始めたものです。

この本は、人とどう関わるべきか、どのように自分自身を改善し、周りの人々との関係を深めていくかについての洞察を与えてくれました。

特に心に残っているのは、毎朝出勤する青果部門のおばあちゃんの姿です。

彼女は、私が職場に中途入社した時から、いつも元気で明るく挨拶を交わしてくれました。しかし、年齢と共に彼女の体は徐々に衰え、階段を上るのが困難になっていきました。

息をフウフウ言いながら手すりを使い、ヨイショヨイショと階段を上り、3階の更衣室で着替えてまた降りて1階の作業場で仕事を始められます。

以前の私なら挨拶をするだけで特に何も感じなかったと思います。

しかし私はおばあちゃんのこの姿を見て

「こんなに大変な思いをして頑張って働いてくれてる。なんて有難いんだ」とひどく感謝した事を覚えてます。

この変化の一端として、ある日の朝礼での出来事があります。

店長が売上や働く姿勢について厳しい言葉を投げかけた時がありました。

「こんな売上では全然ダメですよ!もっとしっかり働いてください!!」

その時、おばあちゃんは目を閉じながらじっとその話を聞いていました。

その姿を見て私は店長に「こんなに頑張ってくれている人になんてことを言いやがる!!」と一瞬にして腹が立った事を覚えてます。

しかし、その瞬間ふと出てきた感情がありました。

「私も同じことをしている」

私は、自分自身も同じように、パートの方々に対して無神経な言葉を投げかけていたことに気づきました。

売り上げが下がっていることや値引きが多いことを理由に、

「売上が落ちてほとんど半額値引きになってるんだからもっと作る量を減らせ」

「こんなもん売れないんだからあんまり作るな」

「余計な商品を発注するな。廃棄になったら利益が下がるだろ」

とパートのおばちゃん達に対して無神経な言葉や行動をしていました

例えばお寿司の値引きが激しくて何度も作る量を減らすように売上を見せたり、何だったら半額で残った商品を写メして作業場に置いておいたり、いかに減らす事が大事かを伝えようとしました。

しかしパートさん側の気持ちを考えてみました。

最初は寿司部門はなかったそうです。

十数年前にお寿司をはじめた時、当時は大盛況だったみたいです。その時のお客さんに「ここのお寿司とっても美味しい!毎日買いにくるわ」「近くでこんな美味しい巻き寿司が食べられるの嬉しい!」や社員さんからも「目一杯作ってたくさん売りましょう!」「お客様をいっぱい喜ばせましょう!」そんな風に作られていたはずです。

当然商売ですから、そんな状態が何十年も続く事は難しいです。だんだんと売上が下がってきている事は分かっておられたはずです。

ですが人は感情で動きます。

売上が下がってきたから作るのを減らせ、というのは彼女達からしたら自分の存在が否定されたと同義です。

確かにお店として利益を出さねばなりません。

そのために値引きをコントロールや商品の廃棄を減らすのも大事ですが、私は何かパートさん達を感情のないロボットとして扱っていたも同然でした。

彼女らもまた、お客様に喜んでもらえるよう一生懸命に働いていたのです。

もっと他に言い方があったはずです、理解してやってもらうやり方があったはずです。

この経験から学んだことは、人との関わり方において、理解と尊重がいかに大切かということです。

それは、単に業務の効率や成果だけを追求するのではなく、働く人々の心に寄り添い、その努力を認め、支えることに他なりません。私は、「人を動かす」を通じて、自分の行動や言葉が他人に与える影響を深く考えるようになりました。

そして、職場のみならず、日常生活においても、人々との関わりをより良いものにしていくためには、相手の立場を理解し、尊重することが欠かせないと実感しています。

この変化は、私の職場だけでなく、私生活にも良い影響をもたらしています。人との関係を築く上で、相手の価値観や立場を理解すること、相手の努力や成果を認めることが、より強い信頼関係を構築する上での鍵となることを学びました。

私はこれからも、人々との関わりの中で学んだ教訓を生かし、互いに尊重し合い、支え合う関係を築いていきたいと思います。

「再生への一歩: 整骨院の先生と学んだ「人を動かす」の教訓」

私が整骨院に通い始めてから、そこはただの施術所ではなく、心の拠り所となっていました。

先生との会話は、両親の死、抱えていた借金、そして絶え間ないストレスや不安について打ち明ける場となり、私の心を癒してくれました。先生は私の話を耳を傾け、時には自らの過去の経験を共有してくれました。

そして、ある日、先生は私に「人を動かす」という一冊の本を勧めました。

デール・カーネギーの「人を動かす」は、100年以上前に書かれ、多くの人々に影響を与えてきた世界的名著です。先生自身、この本を読みながら自分の会社を立ち上げ、経営していたとのこと。その本を帰り際に私に渡してくださりました。

帰宅してページを開いたとき、私はただの本を読むのではなく、人生の新たな教訓を学ぶ旅に出ることになるとは思いもしませんでした。

この本は、人間関係の基本原則を教えてくれます。誰もが価値と尊敬を求めているというシンプルな真理から始まり、相手に興味を持ち、誠実な賞賛を送ることの重要性を説いています。

私はこれを読み、自分自身にも同じことを適用すべきだと気づきました。自己批判ではなく、自己に対する深い理解と賞賛が必要だったのです。

また、この本は、他人とのコミュニケーションにおいて、批判や非難、苦情は避け、理解と同情を持つべきだと教えています。

過去、私は人生の困難に直面すると、しばしば周囲を非難していました。しかし、この本を読んで、人々や状況を受け入れ、前向きに対応する力が私の中にも育っていくのを感じました。

さらに「人を動かす」は、自分自身の成長にも目を向けるべきだと教えてくれます。

学び続け、知識を深め、スキルを磨くことの重要性。私はこれを自己啓発の道として捉え、読書を日々の習慣にしました。整骨院の先生が、この本を通じて、私に与えてくれたのは、単なる知識ではなく、人生を豊かにするための哲学でした。

整骨院での施術は、私の体を癒しましたが、先生との会話と「人を動かす」は、私の心を癒し、再び立ち上がる力を与えてくれました。この本が教えてくれたのは、他人を理解し、尊重し、影響を与えることの大切さですが、それ以上に、自分自身を理解し、尊重することの重要性を再認識させてくれました。

私の物語はまだ続いています。しかし、今、私は過去の苦しみから学び、前進する勇気を少しだけですが持っています。

整骨院の先生との出会い、そして「人を動かす」から学んだ教訓は、私の再生への第一歩となりました。

「意外な発見:整骨院の一言が開く自己受容の扉」

借金問題に苦しみながらも、徐々に返済を進め、心にわずかな余裕が生まれた私は、日々の生活に新たな一歩を踏み出そうとしていました。

しかし、人間関係では依然としてトゲのある対応をしてしまうこともあり、借金を背負い込んだ当初の攻撃的な性格が完全に消え去ったわけではありませんでした。

そんなある日、突然の左足の痺れに見舞われ、ここ最近通い始めたマッサージ店へと足を運ぶことにしました。

しかし、残念ながらその日は満員で、私の悩みは解決されずじまい。途方に暮れながら帰路につこうとすると、ふと少し先に整骨院があることを思い出しました。

普通の方なら代わりにこの整骨院に行こう。と思われるかもしれませんが、私は躊躇しました。

「整骨院に対して恐怖があったからです。

長年、整骨院に対して持っていた誤解―それは、そこで骨を無理やり折られ、何か人体の持つ不思議な超回復を促す場所であるという、根拠のない恐れでした。

この考えは、どこから来たのかさえ分かりませんが、いつの間にか私の中に根づいていたのです。

しかし、この時、左足の痺れに加えて腰痛も激しくなり、どうにも我慢できない状態に。そこで、骨を折られるかもしれないという不安を抱えつつも、私はその整骨院に足を踏み入れる決心をしました。

麻酔なしで足と腰を折られるかもしれない。その覚悟で入ろう。

整骨院に足を踏み入れた私を待っていたのは、穏やかな顔立ちの年上の男性でした。この整骨院は整体院としても運営されており、私の痛みや状態に対して丁寧に耳を傾けてくれました。

施術が始まり、私の中にあった「無理矢理骨を折られるかもしれない」という恐れは次第に和らいでいきました。

そして施術中、予期せぬ一言が私を驚かせました。

◯◯さん、筋肉質ですね〜

この言葉は、私にとって予想外の嬉しい驚きでした。

なぜなら、私は幼少期から自分の体を軟弱で弱々しいと感じていたからです。友人や知人は武道の黒帯を持ち、男らしい体つきをしていたため、常に自分の身体と比較し、劣等感に苛まれていました。

「友人は空手二段で子供の頃から喧嘩も強い」

「大学の後輩も柔道二段で筋トレする時は20kgのダンベルとかでリストを強化している」

それに比べて私は、、、、

この事だけでは無いのですが、いつも弱々しい自分に悩んでました。

しかし、人体の勉強を常日頃からされている方に「筋肉質」と言われたことは、他人の言葉よりも説得力があり、私にほんの少しですが自信をもたらしました。

それは、私が自分自身について抱いていた長年の誤解を解くきっかけとなり、自己受容への扉を開く一歩でした。

「苦境の中の自省: 借金問題が映し出す、自己と他者への理解」

借金問題は、人生の舵取りを一変させる力を持っています。

私の経験では、それは単に経済的な負担を超え、人間性までもが試される試練でした。特に職場での私の振る舞いは、借金がもたらしたストレスの深刻な影を投げかけました。

職場では、私は苛立ちやすく、攻撃的な態度を取るようになりました。自分が望まない部署で働かされているという不満が、借金の重圧と結びつき、私をさらに追い詰めました。

この苛立ちは、しばしば同僚や上司、そして特にパートタイムのスタッフに向けられました。

例えば、朝礼の際、集まった従業員を一人ひとり睨みつけ、彼らの存在自体を軽蔑するような態度をとりました。また、パートさんが小さなミスをすると、その責任を厳しくなじり、公然と彼らの能力を否定する言葉を投げつけました。

会議では、上司、同僚が提案したアイデアを冷笑し、社長が意見を促しても鼻で笑って無視し、その場の空気を凍りつかせることもありました。更に悪いことに、これらの行動は、私自身がその状況を全く理解していなかったため、改善の兆しは見られませんでした。

最も悪化していた時は、私の仕事はスーパーでの仕事だったのですが、

朝の商品の品出しの時に、周りが野菜を出したり魚を加工したり開店の準備をしている時に、大声でいかにこの仕事に携わってる事が馬鹿馬鹿しいか、いかにこの仕事をしている人間(私を含めて)が無能で存在価値が無いかなどを声を荒げて怒鳴りつけながら仕事をしていました。

「よくこんなクズがやる仕事で金貰ってられるな、恥ずかしく無いんか?」

「とっととこの店潰れんかな?地域の邪魔やろ!」

「ゴミしか働いとらん。ここで働いてる奴らは人間の恥晒しやな!!」

こんなことを、本当に平気で売り場でも調理場でもいつも怒鳴り声で叫んでました。

些細な遅延やミスに対しても、過剰な怒りを爆発させることがありました。私は声を荒らげ、時には物を叩きつけ酷い時には商品を蹴飛ばすなど、職場での暴力的な行動を取りました。これらの行為は、店舗の従業員の士気を著しく低下させ、全体の雰囲気を悪化させました。

よくクビにならなかったなと本当に思います。いくら日本の会社の正社員とはいえ、ここまで悪影響を与えたら確実に他所なら確実に解雇です。

ですがこの期間、そんな事は何も考えずに、私は自分がどれほど周囲に対して冷酷になっていたか、そして自分の行動が他人にどれほどの負の影響を与えていたかについて、全く気づいていませんでした。

なぜなら

「自分が一番世の中で不幸な人間だから、周りは幸せに何の苦労もなく生きてるから」

「だから、何をしても良い、何を言っても許される」

恐ろしいことに、本当にこんな考えに支配されていたのです。

当時の自分の借金問題に追われ、休憩時間もお金に変えられるものはないか、どの債権者に先に返済すべきかといったことで頭がいっぱいでした。自分以外の何ものにも目を向けられない状態で、自分の精神的な健康さえもおろそかにしていました。返済の計画を練り、次にどの資産を手放すか考えることで頭がいっぱいで、他人への共感や理解を示す余裕など無かったのです。

振り返ると、私のこの時期の行動は、職場における人間関係において修復が困難なほどの亀裂を生じさせました。自己中心的な苦悩に囚われ、他人への配慮を欠いた私の振る舞いは、上司、同僚やパートさんからの信頼を失う結果となりました。

私たちは、自分だけが苦しんでいるわけではないということを、時に忘れがちです。

職場の同僚や上司も、そしてパートさんやアルバイトさんもそれぞれに個人的な悩みや問題を抱えています。

私のように、その苦悩が表面に現れることは少ないかもしれませんが、それでも彼らは自分なりの戦いを続けて人生を生きています。

この認識が深まるにつれ、私は他人に対する共感の重要性を再認識しました。

結局のところ、私たちは皆、自分なりの戦いをしています。私が経験した苦痛は、私を成長させるためのものでした。そして、この経験から学んだ最も大切な教訓は、人間関係は共感と理解から成り立っているということです。

この当時の行いを消すことはできません。

ですが、それでも迷惑をかけた方々へ恩返しできるとしたらこの経験をしっかりと人生に活かすことだと勝手ながら思っています。

本当に申し訳ありませんでした。

「再びの一歩: 家族と共に乗り越える借金問題」

最初の一歩は、西日本政策金融公庫への相談でした。

利息や遅延損害金の問題を一時的に棚上げし、元金の返済方法に焦点を当てるという提案をいただきました。元金は残り約150万程で月々5万円の支払いという計画は、私にとっては一筋の光のようなものでした。しかし、法的な制約から妹もこの返済に加わることに。半分ではありませんが三分の一を妹に払ってもらうことにしました。

続いては地元の銀行、郵便局、ガソリンスタンド、車屋さん、その他のこまごました借金返済の問題に取り組みました。

こちらは、合計で約200万円以上に上り、心が重くなるほどの負担でした。例えば地元の銀行さんは分割ではなく一括で返済をしかも1ヶ月後に求めてこられました。それに他の皆さんも表向きは「少しづづで良いよ」とは言いつつも、長年返済が滞ってた訳ですので本音はすぐに返して欲しいはずです。

すぐにでもこの200万は用意しなければならないと考え、先ず残っていたお店を売る算段を早急につけることにしました。実は父が生前から売りには出していたのですが、少しでも良い値で売りたかったらしく(三百万は欲しかったみたいです)なかなか買手が見つかりませんでした。

しかし、そんな事言ってられません。安かろうとすぐに現金化できる方が大事ですから、半値で店舗のお隣に住んでられる親戚の方に購入してもらう事にしました。幸いその値段なら、ということで話がすぐに決まり150万のまとまったお金を手にできました。

次に父親の国民年金に目をつけました。昨年父は年金を貰える歳になっていたのですが、それを遅らせていたので貰わずに死んでしまったのです。調べていくとその一年分を相続人が貰えることが分かったのです。

金額は50万程で、この土地と父親の年金は今の私にはありがたい親の遺産でした。

これらを使いかき集めた200万で地元の関係者の方々にお支払いをさせていただきました。

200万円を肩代わりしてくれている別の親戚の叔父さんには申し訳ないですが甘えさせてもらいます。

次に私はお店の税理士さんに会いにいきました。

本当に初めて会う方でやはり緊張しました。市内のマンションの一室で税理士業をやっておられて、見た目は70代ぐらいの穏やかな方でした。

話を聞いてくださり、私の祖父の頃からの仕事を貰っていた事や、父から連絡がつかなくなり心配していたという事、もっと早く相談してほしかったと残念がられていました。

他にも未払いの報酬の事はそっちのけで相談に乗ってくださりました。今後金銭面どうしたら良いかとか、家を継ぐときに実家の会社も継いだのでそちらはどのように対応したら良いかとか。

特に印象的だったのは、私が恐る恐る未払い分のお金の話をしようとした時でした。

こちらの税理士さんは、

「お祖父さんの頃からお世話になっているから」

とおっしゃっり未払いの150万円を免除してくださりました。この言葉は、ただの金銭的な支援以上のものでした。地域社会の温かさと、長年培われた信頼関係の大切さを改めて感じた瞬間でした。

このような経験を通じて、私はいくつかの重要な教訓を学びました。一つは、問題に直面したとき、一人で抱え込まずに周囲に助けを求めることの大切さです。

家族、友人、地域社会のサポートは、困難な状況を乗り越えるために不可欠です。また、自分の問題を正直に共有する勇気を持つことも重要です。

もちろんこの当時はこんな事は表面上理解したふりをしていただけです。

自分が大変という事でいっぱいいっぱいで薄っぺらい感謝を述べていた気がします。

現在は、状況を理解し、支援を申し出てくれたこの当時の人々には心から感謝しています。

こうなるには、まだまだ先の話ですが。